2012年02月20日

現場からGIS、そしてまた現場。

 私は環境コンサルタント会社で働きながら社会人学生として博士を取得しました。仕事でも研究でも様々な現場に行きます。環境が相手なだけに、その時々において、課題は多種多様ですが、まずは自分の目で現場を見て感じる“現場百編”を大切にしています。植物を専門としていますが、様々な生物の調査に同行し、時には自ら網を振るいます(写真下)。そこで感じることは、課題の解決方向を模索する際の礎になります。

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 私が入社した頃は、現場は広くてもせいぜい数100ha程度の舞台でした。現場は入念に踏査しますが、周辺の状況はほとんど考慮できていなかったように思います。そこに登場したのがGISでした。最初は、それまで紙地図を貼り合わせ、ラインテープやコピックで苦労して作っていた図面が、パソコンで効率的にきれいに作れることで満足していました。しかし、DEMや植生図など広域的なデータが入手できるようになると、必然的により広域に目を向けるようになりました。現場だけでなく、その周辺の状況を踏まえた、現場の位置づけを考えられる道具を手に入れたのです。ちょうどその頃、社会人学生として京都大学地球環境学舎にで学びはじめ、景観生態学の知見を用い、環境情報を地図化することの重要性を認識するようになりました。まだまだ不十分とはいえ、生物分布などの環境情報が蓄積され始めたこともあり、仕事でも研究でも大量のデータをGISで処理して地図をつくることが多くなっていきました(例えば下図)。

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 そんなある日、「丹羽さんのつくる地図はきれいだから騙される」と言われたことがあります。確かに、GISや統計ツールを使ってデータを解析していると、結果を過大評価して“わかったような気になる”ことがあると思います。凡例一つで“見え方”変わるのも怖いところです。ただ、一方で、特に広域スケールでは、解析することで初めて見えてくることがあることも確かです。
そのため、私は、現場とGISは両輪であるべきだと考えています。そのため、最近は、現場でデータを集め、GISで解析し、その暫定の解析結果を持って再び現場に行く、そのような“現場-GISサイクル”を大事にし、また、楽しんでいます。



プロフィール
丹羽 英之(にわ ひでゆき)
1973年 京都府長岡京市生まれ。97年神戸大学農学部卒業、98年より(株)総合計画機構に勤めながら、02年京都大学地球環境学舎に入学、10年京都大学地球環境学舎地球環境学専攻博士課程修了・博士(地球環境学)
専門:景観生態学、保全生態学、植物生態学

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2012年01月30日

秋吉台の草原保全の現場から -地域密着型研究者の一事例として-

 「昔はもっと花が多かったんじゃがのう。」 草原の上で出会ったお年寄りのこんな声がきっかけで、秋吉台の草原での調査・研究と保全活動を始めて5年になります。
 山口県の中央部に位置する秋吉台は、石灰岩台地の上に面積約11.6km2の草原が広がり、地元住民による早春の山焼きでその景観が維持されています(写真1)。ネザサが優占する広大な草原には草原性の絶滅危惧植物が多く生育し、昔の姿を知らない私には「花が減った」という話はあまり実感をともないませんでした。ただ、今は採草利用がかなり減ってしまったとのこと。攪乱の強度が違っていれば生態系の応答も違ってきているはずと思い、もう一度草刈りを再開したらどうなるかという刈取り試験をしてみることにしました。すると、草を刈った最初の年、秋に茎を再生した草原性植物の開花数は、7月刈区が無処理区の約3倍となりました。その後毎年刈取り処理を続けていますが、優占種の交替や新しい種の移入・開花など変化は毎年確認できています。

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 写真1 秋吉台の草原景観

 その後、この調査結果を根拠に地元の学習施設で「秋吉台お花畑プロジェクト」という名前の行事ができました(写真2、3)。このプロジェクトは花を多くするだけではなく、刈った草を地元農家に提供して野菜を栽培してもらい、秋にはその野菜を参加者が受け取るという資源の循環をめざすものです。さらに、草刈りが負担になった地元農家を応援する意味合いもあり、観光にも寄与すること、環境学習の意味合いもあります。現在では、企業ボランティアによる活動や小学校の体験学習にも広がりをみせています。ただ、草刈りをするという行為そのものは、当初より自然愛好家から賛否両論があり、とりあえず現在は草刈り面積を限定することで了承を得ています。

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 写真2 秋吉台お花畑プロジェクト1(初夏の草刈り)

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 写真3 秋吉台お花畑プロジェクト2(秋の観察会)

 ところで、花が少なくなったという心配と並んで、「草原がせまくなった」というのもよく聞かれる話です。過去の地図や空中写真から過去の草原面積を算出してみると、明治32年ごろに比べて草原面積は4分の1程度になっています。減った分の草原はスギ・ヒノキの植林地や落葉広葉樹林へと変わっているようです。そこで、草原面積を維持するために、過疎・高齢化した地元が担う山焼きを応援することにしました。この「山焼き応援プロジェクト」では、実際に防火帯作り(火道切り)の手伝いをしたり、草を堆肥化して野菜を育て、それを作業時の昼食材料やお土産として提供しており、他地域から来るボランティアに好評を得ています(写真4)。

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 写真4 草を使って育てた野菜をボランティアに提供する

 さらに、「大ヤブになってしまった」草原を元に戻したいという声もあり、こちらは「草原の復元プロジェクト」として立ち上がりました。以前は農地として利用していた場所ではセイタカアワダチソウの群落が成立しています(写真5)。そこで、年2回の草刈りを実施していますが、刈り草を持ち出した場所では外来植物の衰退が確認されました。最近、外部研究者の協力により土壌の分析が可能となり、草を持ち出すことで土壌に蓄積された栄養分が取り除かれ、草原再生に寄与するのではないかという視点で研究できるようになりました。

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 写真5 草原内の耕作放棄地に成立したセイタカアワダチソウの群落

 このように、地元の想いを聞き、その疑問に答える形で調査・研究を始めた訳ですが、こちらが提示する調査結果が活動に関わる人の意欲を向上させ、そのニーズを受けてさらに調査が進むという相互作用的な関係が成り立っています。
 ただ、活動の主体は町からの委託費で運営する任意団体「秋吉台草原ふれあいプロジェクト」であり、構成員すべてがボランティアとして関わっています。今後の継続を考えた場合、団体としての機能向上も含め、行政や地元との関わり、外部との連携など課題は山積みです。また、活動を拡げていくためには、「草刈りは悪いこと」とする自然愛好家や秋吉台には無関心な地元の方との意思疎通を図るための“場づくり”も必須です。現在、各地で草原を含め里山環境の保全や再生への取り組みが行われていますが、他地域の事例を参考にし、現場でのやりとりを大切にしながら将来の像を描く手伝いができればこれ以上のことはありません。



プロフィール
太田陽子(おおた ようこ)
1969年徳島県生まれ。NPO法人 緑と水の連絡会議・受託研究員、美祢市立秋吉台科学博物館・学芸委員、秋吉台草原ふれあいプロジェクト副代表。博士(学術)。
第2回いきものにぎわい市民活動大賞(富士フイルム・グリーンファンド活動奨励賞)受賞(2011年10月)。
家族の転居や子育てなど、家庭環境に合わせてフィールドや研究テーマを変えているが、一貫して里山の自然環境保全とそれを支える社会の仕組みづくりに興味がある。定職なし、収入ほぼゼロという決してお手本にはならない存在であるが、地域密着型の研究者として実現できることを模索する毎日である。

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2011年12月16日

社寺林の「景観」生態学

 都市の中に古くから存在する社寺林は,人々に親しまれている身近な自然の一つである.大きく太い木が林立する社寺林を見ていると,聖なる場所として崇められ,保護されてきた,手つかずの森という印象を受ける.しかし,京都市の下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)を対象として行った筆者らの研究から,少なくともこれら2つの神社の林は手つかずではないことが分かった.ここでは,これら2つの神社の江戸時代の植生景観と人々との関わりを紹介したい.
 下鴨神社は,高野川と賀茂川が合流する三角州地帯にあり,上賀茂神社は,京都市北部の山麓に位置する.そのため,下鴨神社の社寺林は平地林であり,上賀茂神社の社寺林は山地林である.まず,入手可能な江戸時代の絵図と古い文書を用いて植生景観を検討した.
 江戸時代の下鴨神社の6つの絵図を見比べると,林全体にマツタイプと広葉樹タイプの樹木が混生して描かれ,本殿周辺にはそれらに加えてスギタイプの樹木が描かれていた.次に上賀茂神社では,7つの絵図と,森林管理に関する古い文書を読み解いて比べた結果,本殿などの建造物のある平地には,マツ,スギ,ヒノキなどの針葉樹と,カシ,ケヤキなどの広葉樹が生育し,神社の領地内の山には,主にマツが生育していたことが推定された.
 現在の下鴨神社には,江戸時代の絵図にたくさん描かれていたマツはほとんど生育していない.江戸時代にはマツが優占していたと推定された上賀茂神社の山には,現在も尾根と頂上にアカマツが生育しているが,その他はコナラなどの落葉広葉樹やヒノキが優占する林となっている.なぜ,江戸時代の両神社の林には,マツがたくさん生育していたのであろうか?江戸時代の両神社では,里山のように伐採などの何らかの人による介入があったのではないだろうか?
 そこで,古い文書から,江戸時代の両神社の林と人々との関わりを読み解いた.どちらの神社でも,木が伐採された記録があったが,それらは主に枯れた木や折れた木であった.生きた木が伐採されていた里山と比べると,社寺林での人による介入の程度は穏やかなものであったといえる.木は,薪や橋板などとして利用されていただけではなく,入札を行い,最も高い価格を示した人に売り渡していた.木を売ったお金の使い方については下鴨神社の古い文書に記述があり,釘や鎌などの品物を購入したり,小屋の建設費用としたりするなど,神社の公務に関係することに使われていた.また,どちらの神社でも,里山と同じく,下刈りが行われた記録があった.里山よりも介入の程度は小さいものの,江戸時代の下鴨神社と上賀茂神社では,林の手入れが行われ,現在よりも林の中が明るかったため,マツが更新可能であったと考えられる.
 林は神社の持ち物であるため,誰もが勝手に入って木を切ったり,柴を刈ったりできるわけではなかった.とくに,上賀茂神社では所有していた山の面積が大きかったこともあり,神社に仕える人々の中から山の見回りの担当者を選び,山の資源が盗まれないよう監視をしていた.また,神社と関係のない他の村の人々だけでなく,神社の関係者も,私用のために木を伐採することなどは禁止され,違反者に対して罰則が定められていた.このように,林は神社の財産として厳しく保護されていた.
 江戸時代の下鴨神社と上賀茂神社では,社寺林を神社の収入源や資源として利用しつつ,神社の風致を保つことができる程度に,人々が介入していたことが推測された.他の地域の神社についても研究を重ね,社寺林と人々との関わりをさらに解明していきたい.

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写真1 室戸台風(1934年)後の下鴨神社の境内林

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写真2 現在の下鴨神社の境内林



プロフィール
今西 亜友美(いまにし あゆみ)
1979年 静岡県浜松市生まれ。01年 京都大学 農学部 生産環境科学科 卒業、03年 同大学院 農学研究科 森林科学専攻 修士課程 修了、06年 同大学院 農学研究科 森林科学専攻 博士課程修了・博士(農学)、06年 京都大学大学院 地球環境学堂 森川里海連環学分野 助手、07年 同分野 助教、09年京都大学 フィールド科学教育研究センター 特定研究員、10年 京都大学大学院 地球環境学堂 景観生態保全論分野 特定助教
専門:景観生態学、造園学、保全生態学
http://www.ne.jp/asahi/homepage/junichi/ayumi.html

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