2014年08月12日

石川県における獣害の被害実態解析と予測

 日本景観生態学会第24回金沢大会におきましてポスター賞をいただきました。大学や行政、地域住民など大変多くの方々のご協力のもと、今回の御評価をいただけたものと感じております。

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写真1 ポスター

 さて、本研究では石川県を調査地としてイノシシの被害実態の解析と被害発生の予想を地理空間解析と遺伝子解析によって行いました。石川県では、イノシシの個体数及び農作物被害が増加しており、それに伴い分布領域も拡大し、H26年現在では石川県全土で生息が確認されています。
 
 被害は人とイノシシの生息域が重なる中山間地域を中心に発生しており、GLM解析による被害発生環境の抽出においても、『標高』、『積雪深』、『森林面積』が選択され、中山間地域が示唆された結果になりました。

 また、同じ中山間地域でも、加賀地方(石川県南部)と能登地方(石川県北部)で形態の違いが見られました。加賀地方では、大規模な農業地帯が連なり、能登地方では小規模な農業地帯が山間に散在しています。前者は、集落間の連携がとりやすく防除面積も小さくて済みますが、後者は集落間の連携が取りづらく、四方からのイノシシの進入に備えなくてはならないため、防除面積が大きくなり、経済的負担も大きくなるものと考えられます。
 
 MAXENTモデルによる被害発生地の予測では、加賀地方では、各市町の山間部林縁付近で高いリスクの地域が見られ、能登地方では比較的平野部が少なく、中山間地域が多いため、どこにおいてもリスクが発生すると予想されました。

 次に、遺伝子解析では、石川県内のイノシシの遺伝的集団が2集団いることがわかり、金沢付近で富山県側と福井県側の侵入個体がせめぎ合っているものと考えられました。最近新たに侵入してきた一部地域(加賀北部から加賀南部)の個体群については、HWE検定より近親交配をしている可能性が考えられました。こうした、遺伝情報(ミクロ)と地理情報(マクロ)を組み合わせ(Landscape Genetics)、可視化することで個体群動態の把握などに活かしていくことで、より重層的で多様な情報を提供していけるものと期待しております。

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写真2:推奨したい獣害対策における基本概念 

 今後の獣害対策には情報の収集と解析が重要な要素となるものと私は思います。既に対策方法は確立されているため、いかに情報を活かし細やかな対策をしていくかに対策の質が大きく関わるものと考えられます。

 究極的に言ってしまえば、山際の水田を放棄し、米の生産を比較的安全な平野部のみで行えば農作物被害はなくなります。それでも、田んぼを続けたい、残したいという人が多くいるのは、先祖から受け継いだ土地を守りたい、日本人のDNAに刻み込まれ、潜在的に感じている里山(故郷)を次の世代に残したいなどといったそれぞれの想いがあるためではないでしょうか。現在、観光資源として里山を押し出す風潮になってきているように感じますが、今、里山がどんな問題に直面し、どう対処するのかということを、まず先に考えていかなければ里山の荒廃はますます進むものと考えられます。先祖が残してくれた、美しい里山景観を守るために、我々は今まさに、真摯に『里山』と向き合わなければならない時期に来ているのだと思います。



永田 陽介(ながた ようすけ)
1989年生まれ。栃木県小山市出身。石川県立大学大学院 生物資源環境学研究科 環境科学専攻 修了。現在、石川県職員(林務)。研究テーマは、イノシシの被害実態の解析と個体群分析。現在、正式な業務として石川県の獣害に携わり貢献したいと思い、周囲へのアピールと獣害の勉強を続けています。(今回の受賞は大きな一歩と自信になりました。誠にありがとうございました。)
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2014年01月01日

時間は景観生態学の2大要因の一つ

 景観生態学において、構造に関する事象では、空間のサイズがある。様々な、スケールで捉えることができるが、地上での人間サイズの空間は、その立ち位置において肉眼で見える範囲である。これを記録する最も一般的な方法は写真である。写真は景観を把握するのに大いに役立つ、情報量の多い資料である。しかし、その撮影された場所が記録として残されていれば、現在の状況との差異を計測することが可能である。しかし、これでは不完全なのである。撮影された年月日が記録されていることで、資料として完全となる。空間だけでなく時間が加わって初めて景観を科学することができる。すなわち、変化を正確な時間スケールで計らなければならない。ここでは、各種モデルによる予想や、同時期に撹乱年数が異なる別な場所の景観間を比較することから変化を類推する方法とは桁違いの正確さ(絶対的)が存在する。景観生態学徒は、ともかく景観の写真を撮っておかれることを強く勧める。

 こんなことをいつも思っていたところ、国内の高山植生を視察し多数の写真を撮影した1972年から昨年は40年経過した年だったことを思い出した。再度の訪問を計画したのだが、さすがにこの歳では3,000m級の山にはもう登れない。それであきらめていたが、今年札幌で日本植物学会が開催されJPRの編集委員なので出かけることになった。北海道では森林限界が低いので、利尻島や礼文島ならまだなんとか同じ位置から写真が撮れるのではないかと考えた。それで、埃をかぶったスライドケースから当時の写真を探し出した。貧乏学生にはスライドフイルムは高価だったので、ずいぶん節約して撮影していた。植物の写真が圧倒的に多く、景観を撮影した写真は多くはなかった。それでも、利尻岳を撮った4枚、礼文島の桃岩の草原の10枚、香深の港湾と市街地の8枚を見つけ出すことができた。ともかく、それなりに苦労して全22枚の写真を、以前撮影した場所と思われるところから再び撮ることができた(今ならGPSがあるので正確に場所を再現できる)。誤算だったのは、持参したニコンを手荒く扱ってしまったようで機能しなかったことである。バックアップのキャノンを代替え機種にした。しかしながら、重量的にはキャノンは軽量でこの年齢には合っていた。また、以前撮影した写真を傍らに置いて、同じアングルで撮影できるまで何度も試行できたことはデジタルカメラのモニター機能のお蔭である。
 
 さて、写真は無機的なものである。一方、観察記録は主観も入るため血の通ったもののはずである。このブログを担当の真鍋徹氏から依頼されて、私にとって2013年のハイライトとも思える今回の記事を思いついた。本当に久しぶりに41年前の野帳を開くことにした。そこには、景観生態学に関する情報は、残念ながら少なかった。むしろ、日記のようなもので、野帳にも「日記」と記されていた。とはいえ、世相を伝達するのも会員へのサービスと思い、写真と共に、ここに載せさせて頂いた。また、今回の再調査の際の実に味気のない手帳のメモも、比較のために同時に記載した。

【文中の( )内は補足、< >内は現時点での評価・反省。】

1.最初の視察旅行
 持参したカメラはペンタックスPentax(手動式)一眼レフ。レンズは35mm広角。フイルムはフジクローム(スライド用36枚撮りASA100)。撮影後、現像所に現像を依頼する。撮影した時点では、撮影状態を知ることは不可能。
 利尻・礼文日記(野帳)。
 1972年8月7日6:00利尻51号で稚内に着く。雨。北海道に来て天候は我々に不利に働いているみたいだ。まったく雨には閉口。7:50 稚内港から宗谷丸にて利尻の鴛泊に向かう。9:50 鴛泊着。20分遅れ。(稚内まで)夜行で来たので、どうも気分が悪い。10:30 途中で食料を調達して、キャンプ場着。2人分4日で1,305円。(その日は周辺を歩いただけで、昼食は外食ラーメン、夕食は自炊したことが記載されている。) 
 8月8日 快晴 風弱し。8:00起床。起きてびっくり、大雨のはずが快晴。利尻岳がまる見え。9:00 朝食。今日はポン山に登ることにした。11:00登山開始。13:00頂上着。途中、針葉樹林。エゾマツートドマツ林で、どちらかというとトドマツが多い。こんなに低い所なので、なにか異様な感じがする。14:00 昼食。朝食の残りと、サンドウィッチ。けっこううまかった。14:40(下山したようだ)オホーツク海で泳ぐ(これは、間違いで日本海)。とても寒かったが、とにかく泳いだ。A君(匿名にする)は泳がなかった。こんな紺碧の海を前にして、泳がない手はないと思うが。17:00 ソフトクリームを食す。18:00 夕食の準備。今夜はカレー。20:00 ベシ岬に星を見に行く。途中、ビール250円を飲む。22:00 下山。とても美しい夜空であった。天の川も鮮明に見えたし、星座もいろいろ見えた。23:00 就眠。
写真番号41: 34-36, 42: 1-37, 43:0-28.
 8月9日曇、午後霧。4:30 起床。今日は張り切ってゆかなくては。5:00 朝食ミソラーメン、あまりうまくない。6:00 出発。飛ばしに飛ばす。7:00 5合目。10:00 長官山に到着。11:00 利尻岳に登頂。風が強すぎて、前進をはばまれる。昼食サンドウィッチ(ソーセージとキュウリ)。12:00−13:00 頂上付近で観察。13:00 下山。沓形方面に下山することにする。登頂中に見て(種名が)不明なもの。キク科(スッケチあり)、ノミノフスマ? ゴゼンタチバナ北海道は別種? 14:00 下山途中で道を間違う。引き返した(間違ってしまったところを確認したと思われる)。<道に迷ったら、元に戻ることを実行している> 14:30 再び下山開始。上がったり、下がったり。15:00 尾根道の下山道に到着。ハイマツ帯を通過:8合目、7合目。ダケカンバ帯を通過:6合目。針葉樹―ササ(チシマザサ)林を通過:5合目、4合目。針葉樹―広葉樹林:3合目、2合目、1合目。針葉樹:トドマツ、エゾマツ、広葉樹:ダケカンバ、センノキ、キハダ、イタヤカエデ、シナノキ。
写真番号43: 29-37, 44: 1-38, 45: 0-38, 46: 1-37, 47: 1-14.
16: 50 1合目に着く。二人で、ものすごいスピードで沓形にむかって下山。17:00ギリギリいっぱいでバスに間に合う。17:30 鴛泊(栄町)に到着。まず晩飯を食す。親子丼200円。風呂に入る。19:00 ドーナツ20個、ブドウ2房、リンゴ1個、菓子1袋、ビール1本を購入。21:00 ビール1本を飲み干す。明日は利尻をたつ。End(次のページには8月8日と9日の行程の図が描かれている。キャンプ場からポン山、次いで小ポン山(8日の行程)、キャンプ場から利尻岳、頂上の少し北から西に向かって、沓形まで歩いた区間は実線で書いてある。沓形から鴛泊まではバスの経路を破線で書いてあり、値段は130円。)
 8月10日雨。8:00 起床。9:00 朝食。しょうゆラーメン。これもあまりうまくない。10:00 雨で気分悪し。パッキング開始。11:30 パッキング終わり。11:45 テントをたたむ。鴛泊港に向かって下山。12:15 12:10発の香深行きのフェリーが遅れていたので、これに乗船。またもや危機一髪。12:30 出港。13:45 香深港に到着。途中シケで船酔いする。ひどかった。ものすごく気分が悪い。帰りの稚内行きは用心。酔い止め薬を飲んでおかなくては。(途中の時刻が未記載)(香深で)民宿はいっぱい。旅館は2食付で1,800円から。めちゃめちゃ。<何に憤っているのか不明。おそらくキャンプは予定してなかったのであろう。民宿が空いていなくて、予定が狂ったことが原因だと思われる> 我々は中学校にキャンプさせてもらうことにした。中学校の校長の許しを得て、門の外にテントを張った。校舎の庇の下で雨宿り。17:30 晩飯をつくる。そろそろカレーが温まるころである。とにかくひどいキャンプになりそうだ。(この日はその後記載なし。)
 8月11日 晴、雨、曇。天候が激変した日だった。8:00 起床。10時間は眠った。9:00 朝食を作り始める。ラーメン(みそ+しょうゆ)。もうあきあき。9:40 テントを出る。10:00 香深のバスセンターに行く。パン、リンゴ、及びビスコを買って空腹をしのぐ。10:40 発の船泊行きバスに乗る。途中、礼文岳に登るために起登臼で下車。ガンコウランやイブキジャコウソウなどがあり、驚いた。この初めの登りには、まいった。汗がひどく出て、その上足が重く、とても苦しかった。13:00 (礼文岳の)頂上に上る。海抜300mくらいからハイマツ群落が存在したのには驚いた。針葉樹林:(海抜) 0 – 100m、ダケカンバ林: 100 – 300m、ハイマツ低木林: 300m以上。15:42発のバスに乗り遅れ。18:10発をまつのはナンセンスと思い、香深井まで歩くことにした。これが間違いのもと。とにかくひどい雨と風でさんざんやられた。香深井についてドーナツ、バナナ、コーラ(計210円)を買って、なんとか飢えをしのぐ。海がとても美しかった。20:20 (バスで)香深井を出発。20:30 香深に着く。さっそく夕食の準備。また、愛想の悪い学校の用務員さんの所へ行って、水をもらう。<よくもこんな身勝手なことを書いたものかと反省している、むしろ親切さに感謝すべきなのに> 今晩は、サンマの缶詰、みそ汁と飯。山口から来たサイクリング野郎がやってきた。彼はラーメンを作る。今夜は香深の花火大会。学校の校庭から(花火が)ばっちり見えた。教員の1人が、我々3人が遅い夕食を持参して見物しているのに文句をつける。<花火見物に来られる町民にとって、食事をしながら花火見物しているよそ者をよく思えるはずはない。もう遅いけど、済みませんでした> しっかり飯を食って、風呂に行く。風呂上りにコーヒーを飲む。23:00 A君と高山植物生態、特に社会学について語る。彼は成長している。オレ(当時の自称名詞だったようです)は高山をやるつもりはないから、この人物だけが卒論で高山をやることになる。24:00 就眠。
写真番号 47: 15 – 37, 48: 1-38, 49: 1-38, 50: 1-12.
 8月12日 曇のち晴。7:40起床。前日の山日記の最後を記載。8:00 A君を起こす。9:00 朝食。今朝はフォエーブスの調子が悪い。燃料不足。ラーメン、前日の白飯。とにかくすべての食料を食べつくした。11:00 (桃岩へ)出発。12:30 桃岩に到着。高山植物(高茎草原)あり。種類はあまり多くはない。<これは明らかに誤。季節的にもっと前なら多くの開花種を観察できたと思われる> 13:00 下山開始。下調べが足りなかったために礼文(の視察)は失敗したといってよい。もちろん利尻も同様である。14:00 (香深港)桟橋に着く。出港まであと2時間40分。
写真番号 50: 13-38, 51: 1-26
 防波堤の上で、この反省文を書いている(反省文はノートの末尾にあり、予備知識無しで未知の場所に出かけたことを反省している。ここでは割愛)。帰りの予定は下記の通りである。とにかく帰れるのは幸せである。もうこんなに長い計画は立てないだろうから。<この高山植物と高山植生の視察旅行は7月15日に広島を出発しているので、この日が34日目になる。7月18−24日は白馬岳(広島大学理学部植物分類・生態学講座野外実習)、7月25−29日は上高地・槍ヶ岳・穂高岳、8月1−6日は大雪山に行っている。6日の夜に旭川から稚内行きの夜行列車に乗っている> ともかく成功してよかったと言える。香深16:40 → 19:00 稚内 20:45 → (8月13日)利尻号 5:43 札幌 10:10 → ニセコ1号16:12 函館 17:00 → 青函フェリー 20:25 青森 21:35 → 十和田4号 (8月14日)9:51上野 → 東京 10:35 → こだま525号 14:45 新大阪 15:38 → 17:22 姫路 17:30 → 広島 22:19着。<稚内を夜行列車で出発して、広島まで53時間40分要している>

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写真1:桃岩の西側。香深港のある西側斜面。主にチシマザサ草原。

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写真2:香深中学の正門の外側から香深港を望む。

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写真3:ポン山頂上から見た利尻岳。日記にある写真番号43の0番目がこの写真。フイルムを節約していたため、太陽光に当たるリスクを考慮しないで0枚目に撮影している。今となっては大変重要な山頂部が写っているわけだが、一部パトローネから入り込んだ光のため右側が感光し、スリットが入っている。

2.2回目の視察。
 この再訪時には、手帳にしか記録がない。持参したカメラはNikon D80(デジタル一眼レフ)でレンズは70mmズーム、及びキャノンCanon IXY(デジタルカメラ)。稚内に着いた時点でニコンが機能しないことが判った(広島出発時には正常)。したがって、バックアップ用のキャノンで撮影。媒体はSDカード。カメラ自身でも、持参したノート型パソコンでも撮影状態を確認できる。
 2013年9月14日 朝、稚内グランドホテルをタクシーで出発。稚内港から、フェリー・サイブリアで香深に行く。目的地:香深と桃岩。予定していた写真、香深8枚、桃岩10枚はすべて同じ位置から撮影。<前回撮影のスライド写真をプリントして持参> 礼文(香深)から稚内に戻る。同じホテルに連泊。<予定では、天候が良ければ利尻に行くことになっていた>。
 9月15日 朝、同ホテルをタクシーで出発。稚内港から、フェリー・ボレアース宗谷に乗り鴛泊に行く。目的地:ポン山。香深港で別の登山客3名とタクシー相乗りに成功(もともとタクシーで登山口のキャンプ場までタクシーで行く予定にしていた)。1人分1,100円で済む。(それにしても)島内にタクシー4台とは少ない。予定していた写真4枚は同じ位置からすべて撮影。鴛泊から稚内に戻る。<台風による悪天候のため、ダメモトで出かけたが、幸いにもポン山頂上では晴れていて、利尻岳を撮影することに成功。奇跡的>
 9月16日 稚内空港13:35発羽田行き。羽田17:30発広島空港行き。<所要時間5時間の予定> 台風のため羽田行き欠航。2日後まで羽田行きは満席。旅程を変更して新千歳空港に飛ぶ(最後の1席)。新千歳空港で7時間かけて2日後の広島空港行き予約完了。札幌で2泊。その方が安価だと勧められ、東横インの会員になる。宿所:東横イン・すすきの交差点前。
 9月17日 札幌滞在。
 9月18日 札幌→新千歳空港 18:45 →21:00 広島空港着。<稚内空港からの所要時間57時間。結果として41年前より3時間20分、長くかかった>

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写真4:桃岩の西側。香深港のある西側斜面。かつてのチシマザサ草原に散在していた樹木が生長し、また新たな樹木の侵入が見られる。

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写真5:香深中学の正門の外側から香深港を望む。取り付け道路が拡幅・舗装され、港には港湾施設が増加、街並みも高層化している。

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写真6:ポン山頂上から見た利尻岳。台風の影響で、湿度が高く鮮明ではない。森林限界の変化など、これから分析するのが楽しそう。

 皆さんが、どのような経緯で景観生態学を始められたのか知りませんが、このように過去にさかのぼっても面白そうな課題がたくさんある研究分野です。今回は、取り戻すことができない時間が、我々景観生態学徒には取り戻せて、役にも立つことをお知らせする次第です。なお、利尻・礼文日記の住所録には、ただ1人の記載がありました。この女性に手紙かハガキを出したか否かは、記述が無いため不明です。この再発見も、今となれば貴重な記憶の1つです。



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中越信和(なかごしのぶかず)
1987年 広島大学総合科学部助手時代、ミュンヘン工科大学景観生態学部に短期滞在。この間に西ドイツ・ミュンスターで行われた第2回国際景観生態学会IALEに参加。共同発表論文)は「韓国のグリーンベルトの景観生態」Proceeding paper (共著者Y.-D .Rim)あり 。帰国後、鎌田磨人(院生)、染矢 貴・和田秀次(卒論生)と景観生態学の本格的研究を開始。この時のメンバー全員が博士(学術)の学位を取得していることに誇りを持っています。1990年横浜での国際生態学会議INTECOLで沼田 眞先生とともにIALEの指導者たちと会合。国際景観生態学会日本支部IALE-Japanの立ち上げを計画。1991年カナダ・オタワの第3回国際景観生態学会の総会で日本支部が承認された(会長:沼田 眞、幹事長:中越信和)。この支部会は、現在「日本景観生態学会」という名称となっています。沼田会長の他界で、会長職を継ぐ。2代目会長、在任期間:2000 - 2007年。学会員の投票で、国際景観生態学会副会長に就任。在任期間は2003 -2007年。この間、第7回国際景観生態学会オランダ・ワ−ゲニンゲン大会の開催に貢献。第8回景観生態学会がアジア地区に回ってきたのを機会に、日本・福岡での開催を提案したが、圧倒的な投票数の差で北京に敗北した。2004年原 慶太郎先生と「景観生態学 生態学からの新しい景観理論とその応用」(Turner他著の和訳)を本学会の会員とともに訳出。この本は学部学生の教科書として役立っていると聴く。大学での在任期間はまだありますが、自分で研究するにはもう峠を過ぎています。そんなわけで、皆さんには相談役としては役立つかもしれません。気軽に連絡を取ってください。今まで、研究や学会運営に協力して頂いた方々に感謝しています。ありがとう、ございました。
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2013年10月30日

北海道標津町におけるヒグマ(Ursus arctos)出没確認ポイントの景観要因の把握

 みなさんこんにちは!!酪農学園大学修士2年の松橋杏子と申します。
 第23回盛岡大会にてポスター賞を頂ました。大変うれしく、また身の引き締まる思いです。

 今回発表いたしました研究は、北海道標津町においてH22年度から集約を始めたヒグマ出没情報を用い、標津町におけるヒグマ出没に影響を及ぼす景観要因の把握を目的に、標津町役場とNPO法人南知床・ヒグマ情報センターの協力のもと実施しました。標津町は役場と地元NPOが連携してヒグマ出没対応に当たっていることからヒグマ出没対応については比較的確立されたシステムが存在している地域です。しかし、ヒグマ出没の予測についてはNPO専属ハンターや役場職員でありNPOの一員でもある自然保護員の「川に沿ってくるんだ!」「防風林を伝ってくるんだ!」などと言った経験に頼った見解であり科学的根拠はありませんでした。そこでその見解が正しいのかを科学的に証明することにしました。

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写真1 ポスター

 目的変数と説明変数をそれぞれ以下のように設定しました。
 目的変数:標津町内におけるヒグマ出没ポイント
 説明変数:森林の連続性の有無、林縁までの距離、針葉樹の割合、河川までの距離、建造物までの距離
 
 説明変数はこの他にも「道路までの距離」が考えられますが本研究で使用したヒグマ出没確認ポイントは市民や観光客の通報をもとにしているので、その大半は道路上やその付近に位置します。そこで「道路までの距離」は除外しました。また「針葉樹の割合」に注目した理由は道東地域特有の景観である格子状の防風林を考慮に入れたからです。
 
 GLMによる解析の結果、1,建造物までの距離が短い、2,河川までの距離が短い、3,針葉樹の割合が低い、4,森林の連続性がある、と言う景観でヒグマ出没確認が多いことがわかりました。

 NPO専属ハンターや役場の自然保護員の予想は“河川までの距離”については説明できました。しかし、「防風林を伝ってくるんだ!」という見解を説明する“針葉樹林率”については予想と反対の結果になってしまいました。このような結果になった理由としてヒグマが移動経路として針葉樹林帯を選択的に利用しているわけではないこと及び、防風林を構成する樹種は針葉樹であっても防風林と防風林や連続した森林と防風林をつなぐ樹種が針葉樹だとは限らないとこが要因だと考えています。

牧草地に出没するヒグマ.JPG
写真2 牧草地に出没するヒグマ

 今後はこの研究結果を応用し、標津町の森林部を除いた人間の活動範囲内におけるヒグマ出没ポテンシャルマップを作製したいと考えています。そして市民や観光客への啓発や教育の道具として役立てられればと思っています。



松橋 杏子(まつはし きょうこ)
1989年生まれ。神奈川県横浜市出身。現在、酪農学園大学大学院酪農学研究科修士2年在学中。
研究テーマは北海道標津町におけるヒグマ出没ポイントの環境要因について。
趣味・興味・関心のあることは、登山、野生動物の頭骨標本作り、狩猟。
posted by 管理者 at 09:26| Comment(0) | 景観生態学の現在