2011年12月16日

社寺林の「景観」生態学

 都市の中に古くから存在する社寺林は,人々に親しまれている身近な自然の一つである.大きく太い木が林立する社寺林を見ていると,聖なる場所として崇められ,保護されてきた,手つかずの森という印象を受ける.しかし,京都市の下鴨神社(賀茂御祖神社)と上賀茂神社(賀茂別雷神社)を対象として行った筆者らの研究から,少なくともこれら2つの神社の林は手つかずではないことが分かった.ここでは,これら2つの神社の江戸時代の植生景観と人々との関わりを紹介したい.
 下鴨神社は,高野川と賀茂川が合流する三角州地帯にあり,上賀茂神社は,京都市北部の山麓に位置する.そのため,下鴨神社の社寺林は平地林であり,上賀茂神社の社寺林は山地林である.まず,入手可能な江戸時代の絵図と古い文書を用いて植生景観を検討した.
 江戸時代の下鴨神社の6つの絵図を見比べると,林全体にマツタイプと広葉樹タイプの樹木が混生して描かれ,本殿周辺にはそれらに加えてスギタイプの樹木が描かれていた.次に上賀茂神社では,7つの絵図と,森林管理に関する古い文書を読み解いて比べた結果,本殿などの建造物のある平地には,マツ,スギ,ヒノキなどの針葉樹と,カシ,ケヤキなどの広葉樹が生育し,神社の領地内の山には,主にマツが生育していたことが推定された.
 現在の下鴨神社には,江戸時代の絵図にたくさん描かれていたマツはほとんど生育していない.江戸時代にはマツが優占していたと推定された上賀茂神社の山には,現在も尾根と頂上にアカマツが生育しているが,その他はコナラなどの落葉広葉樹やヒノキが優占する林となっている.なぜ,江戸時代の両神社の林には,マツがたくさん生育していたのであろうか?江戸時代の両神社では,里山のように伐採などの何らかの人による介入があったのではないだろうか?
 そこで,古い文書から,江戸時代の両神社の林と人々との関わりを読み解いた.どちらの神社でも,木が伐採された記録があったが,それらは主に枯れた木や折れた木であった.生きた木が伐採されていた里山と比べると,社寺林での人による介入の程度は穏やかなものであったといえる.木は,薪や橋板などとして利用されていただけではなく,入札を行い,最も高い価格を示した人に売り渡していた.木を売ったお金の使い方については下鴨神社の古い文書に記述があり,釘や鎌などの品物を購入したり,小屋の建設費用としたりするなど,神社の公務に関係することに使われていた.また,どちらの神社でも,里山と同じく,下刈りが行われた記録があった.里山よりも介入の程度は小さいものの,江戸時代の下鴨神社と上賀茂神社では,林の手入れが行われ,現在よりも林の中が明るかったため,マツが更新可能であったと考えられる.
 林は神社の持ち物であるため,誰もが勝手に入って木を切ったり,柴を刈ったりできるわけではなかった.とくに,上賀茂神社では所有していた山の面積が大きかったこともあり,神社に仕える人々の中から山の見回りの担当者を選び,山の資源が盗まれないよう監視をしていた.また,神社と関係のない他の村の人々だけでなく,神社の関係者も,私用のために木を伐採することなどは禁止され,違反者に対して罰則が定められていた.このように,林は神社の財産として厳しく保護されていた.
 江戸時代の下鴨神社と上賀茂神社では,社寺林を神社の収入源や資源として利用しつつ,神社の風致を保つことができる程度に,人々が介入していたことが推測された.他の地域の神社についても研究を重ね,社寺林と人々との関わりをさらに解明していきたい.

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写真1 室戸台風(1934年)後の下鴨神社の境内林

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写真2 現在の下鴨神社の境内林



プロフィール
今西 亜友美(いまにし あゆみ)
1979年 静岡県浜松市生まれ。01年 京都大学 農学部 生産環境科学科 卒業、03年 同大学院 農学研究科 森林科学専攻 修士課程 修了、06年 同大学院 農学研究科 森林科学専攻 博士課程修了・博士(農学)、06年 京都大学大学院 地球環境学堂 森川里海連環学分野 助手、07年 同分野 助教、09年京都大学 フィールド科学教育研究センター 特定研究員、10年 京都大学大学院 地球環境学堂 景観生態保全論分野 特定助教
専門:景観生態学、造園学、保全生態学
http://www.ne.jp/asahi/homepage/junichi/ayumi.html

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