2011年11月09日

多様な主体の参加による,火入れ草原の継承

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 雲月山は広島県と島根県の県境に位置します.【写真1】 西中国山地には,1,000m級の山が連なって,瀬戸内海と日本海の分水嶺を成していますが,標高911mの雲月山もその一つです.雲月山の山頂から,高山,岩倉山という2つのピークを結ぶ稜線からなるすり鉢状の谷に,雲月山の草原が広がっています.草原の面積は約40haと,阿蘇や秋吉台などに比べると小さなものですが,キキョウやムラサキセンブリ,ゴマシジミなどの絶滅危惧種を含む,草原生の生物が多く生育・生息しています.草原内に生育する維管束植物の数は330種が記録されており,この種数は北広島町全体の30%,広島県の約15%に相当します.【写真2】

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 写真1 雲月山

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 写真2 雲月山には330種の維管束植物が生育する

 雲月山の生物多様性を支えていたのは,毎年春に行われる山焼きでした.昭和の中頃までは,農耕に使う牛馬の餌や,田に入れる緑肥として,良好な草を得るために山焼きを行っていたそうですが,トラクターや化学肥料の台頭により,山焼きも途絶えてしまいました.その後,平成に入ってから観光の一環として再会されましたが,山焼きそのものの負担が大きく,6年で途絶えてしまいました.その山焼きを2005年に再々開させたのは,生態系を守りたいというボランティアの思いと,草原景観や山焼きという地域のアイデンティティを守りたいという地域住民の思いでした.【写真3】

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 写真3 山焼き直後の雲月山

 雲月山では,山焼きの実施主体は地域住民のつくる実行委員会です.ボランティアは,NPO団体「西中国山地自然史研究会」の呼びかけによって参加申込みをして,山焼きを手伝います.当日は,7つある集落から3名ずつが作業に従事し,150〜200名のボランティア,地元消防団などが参加し,総勢約250名での作業になります.観光イベントとして山を焼いた時代には,地域住民と消防団は,山焼きを実施すると同時に,観光客を「もてなす」必要がありました.しかし,今は外部から来るのは観光客ではなく,ボランティアです.来訪者の山焼きへの関わり方が変わったことで,地元の負担は大きく減じただけでなく,山焼きを実施する力になっています.【写真4】

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 写真4 多くのボランティアが参加して実施される雲月山の山焼き

 雲月山の山焼きが再々開するときに,もう一つ大切にしたことがありました.それは地元小学生の参加です.小学生達は,はじめは見学をして山焼きの進め方を学ぶことを想定していましたが,2年目からは山焼きの作業そのものを手伝うようになりました.そしてその翌年からは,「雲月山の生態系」や「なぜ山焼きが必要なのか」について,ボランティアに対して説明をするようになりました.【写真5】

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 写真5 ボランティアに山焼きの重要性や雲月山の生態系と山焼きの関係などを説明する小学生

 ボランティアが継続的に作業に参加するためには,自分たちの行為が「役に立っている」ということを認識できるしくみが必要です.小学生からの説明は,この点に関して大きく貢献しているようです.小学校の地域学習で山焼きを取りあげたのは,その「地元意識」を育てるためでしたが,ボランティアへの説明という点で,すでに山焼きを担う一員となっているとも言えます.【図1】

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 図1 山焼きに参加したボランティアの満足感とその理由

 過疎化が進む中,雲月小学校の子どもたちは,進学すれば地域外に出て行きます.しかし,地域のアイデンティティを守るという意志と,ここで学んだ「草原生態系を維持するしくみ」を,何人かの子どもが持ってれば,雲月山の将来に残すことは可能だと考えています.



プロフィール
白川 勝信(しらかわ かつのぶ)
1973年福岡生まれ.2003年3月,広島大学大学院国際協力研究科で博士号(Ph.D)取得,同4月,高原の自然館学芸員に就任.現在は,生態系を形づくり・維持してきた「人の営みの歴史とその未来」に興味があり,湿原と草原を主なフィールドとして研究を続けながら,保全活動に取り組む.

posted by 管理者 at 14:51| Comment(0) | 景観生態学の現在